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保護犬・保護猫と動物福祉 [ANIMAL WELFARE]

ご訪問ありがとうございます♡

今日は、久々のわんこ仲間の写真から♡

あぷろくんを誘って、久しぶりに以前はよく皆が集まっていたのに最近ちっとも、という公園へ行ったのですが...

運がよかった月ちゃん!

左→右→左下→右下、の順です。



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ほんとうに久しぶりに、たくさんわんこが集まりました♡



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私も束の間の癒しをもらいました。



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ぜーんぶかわいくて、載せられないのが残念。

とっても空気の澄んだ日の夕方、みんなキラキラ輝いていました。



その少し前、仕事を片付けて散歩に出ようと必死になっていた私の横で、こちらのお方は...


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その時かけていた、アマゾンの熱帯雨林のサウンドに反応(笑)。

ぐっすり寝ていたのに起きてしまいました。


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鳥の声は、三ちゃんがいる時はかけられないな(笑)。



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すっかり「家に鳥がいる!」と思ったようです(笑)。

このあと、月ちゃんとワタシは三ちゃんをなだめるのに一苦労でした。

しかしにゃんこって、顔の他のパーツに比べてほんとにお目目が大きいですね。

横から見ると、ガラス玉みたい。

ピュアな感じがします。



この前紹介した本について、「ほんとにそんなにいいの?」という質問がたくさん来ました。

というわけで(?)、もう一つ、もっといい(と私が思う)本を紹介。



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前回の記事に書いた通り、10年だってたったの3650日。

そう思うと、残り少ない活動期の人生、本当に自分が大切と感じることに時間を割きたいとますます思うようになりました。

それはつまり、「本当に大切なこと以外はやらない」と決めること。

どんなに「した方がよい」「して欲しいと周囲が思っている」あるいは「自分でもしないことは気になる」と思っても、ということです。

でもこれは、自分の我儘を通すというよりは、自分という「素材」を見た時に、どうやったら一番自分の人生が充実しなおかつ何かの&誰かの役に立てると思うか、ということ、と私は解釈しています。

ということを今すごく考えていて、私はやはり、原点回帰をするのだろうと思っています。

つまり、自然保護や野生動物保護、そして動物福祉といったことに、残りの活動期をできるだけ捧げたいと思う、ということです。



ま、そんなことをごちゃごちゃと考えていて、全然更新できていなかったもう一つのブログ、記事を初めからもう一度新しく書き直しました。

あのブログを書くためにどう時間を捻出するか、といえば、この本が言う通り、つらくても自分の優先順位を明確にし、つきあいが悪いと言われようが(笑)自分の「エッセンシャル」事項に集中すること、でしょうか。

そして、今回の記事には最近とても気になって仕方のない、ゾウの密猟のことを書いたのですが、象牙の販売をヤフオクに求める署名の記事をFBでシェアしたところ、親友から「あの時の画像がとてもショッキングだった」と言われ、「ああそうか、普通の人にはやっぱりあまり目にする機会のない現実なんだな」と改めて感じたこともあり。

やっぱりあのブログをちゃんと書いておく必要がある、と思った次第でした。




実は野生生物にだって、動物福祉問題というものがあります。

動物福祉というのはどうしても、「個々の」動物の福祉(苦しみや痛みのない状態など)が判断基準となります。

ですからそれを突き詰めていくと、野生生物という自然の生態系で暮らす動物達のコンテクストでは矛盾することが出てくるのです。

例えば、イギリスではよく、ウサギのことが問題になります。

草をどんどん食べてどんどん増えてしまうウサギを、'cull' (駆除)することは、よくあります。

でもその時に、PETAのような団体は、個々のウサギの福祉を考え、反対します。

でも、生態学上では、ウサギの個体数が爆発すれば、生態系のバランスは崩れ、例えば植生はすっかり変わってしまうでしょう。

すると、そこにはすでにウサギを維持するだけの生態系はなくなってしまいます。

まあ、さわりだけを書きましたが、動物福祉というのは実は、とても曖昧で不確定要素の多い概念です。

そこにどう線を引くか、というのは、それぞれの考え方がすごく反映されるでしょう。



最近読んでいる本にも書いてあるのですが(Robson, P. (2010) Ethics of Intensification)、動物福祉の考え方には(というより自然に対して)二つの見方があります。

つまり、どういう時に動物の福祉が確保されているか、ということに関して、大きく分けると二つの異なる考え方があるということです。

一つは、動物は「ナチュラルライフ」に近い状態が一番よい、というもの。

この文章を書いた David Favre という学者は、これを「Romantic/Agrarian(ロマン派的/農耕的)」と呼んでいます。

つまり、自然とはそのままで完璧であり、その自然のままにいられることが、動物にとっても幸せなことだ、というものです。

もう一つは、Favre が「Rational/Industrial (論理的/産業的)」と呼ぶ考え方。

こちらの考えでは、動物とは、健康で病気を防ぎ自然の厳しさから守られる状態が一番よい、というものです。


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ふむー。

もちろん、この考え方は自然保護思想の基本であり、私も十二分に知ってはいたのですが、それを産業動物に当てはめた議論は改めて見るといろいろと考えさせられるものはあります。

つまり、私個人は完全な Romantic 派であり、自然のそのままの状態を愛してやまないのですが、愛玩動物の場合、どう境界線を引くかはとても難しいな、だから議論が多いのだな、と。

例えば、そういう”夢見る子ちゃん”な私のような人から見て「んー...」と思う動物の取り扱い方(例えば、「病気を防ぐため」「抗生物質を出す」とか、「健康な」子を産むためにたくさん繁殖してみる、とか)も、個々の個体の福祉を考えて真摯に行われている場合もあるんだな、と、改めて思ったわけです。



ただ、この Favre が提示している二つの考え方はあくまで一つの分析であり、動物福祉を考える際、「全体の福祉」のレベルを考えるという Jeremy Bentham とその弟子 John Stuart Mill の考えは、やっぱり大切だと思います。

Utilitarianism (功利主義) という、「最大多数個人の最大幸福」を唱えたこのイギリスの哲学者(18世紀)は、動物の権利を擁護した最初の知識人の一人としてよく挙げられます。

つまり、このBentham の功利主義に基づけば、「愛玩動物」というカテゴリーに入る動物の最大多数の幸福を考えた時、今実際に飼い主が現れれば救われる命を救う、ということは、ロマンチックでもなんでもなく、理にかなう行為だ、ということです。

もちろん、哲学の議論というのは抜け穴や矛盾がたくさんあり、Bentham の功利主義に関しても議論はいろいろあるようですが、今現実に動物の福祉を真剣に考える私たちとしては、「動物福祉」とは、パフィーズでも提唱しているように「すべての」犬(と今はなってますが愛玩動物ですね)を対象とすべきだ、と私個人は思います。

なので、「第一チョイスはまず保護犬・猫から探してください」ということは、保護団体の方々は、遠慮なく堂々と言ってよいことです。

「感情に流されて」ではなく、理にかなった正当な議論ですから。




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コメント 2

マリエ

なるほどと思いました。この説明をメモしておきます。そして、堂々と言いますね。
by マリエ (2016-03-20 20:37) 

Mari

マリエさん

ご紹介いただいてありがとうございました。
ほめていただきすぎで恥ずかしいですが、がんばりますね。

by Mari (2016-04-09 10:35) 

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