商業繁殖・生体販売の意味すること [ANIMAL WELFARE]
はじめに、この記事は、簡単に、短く書いてしまうと誤解が生まれる恐れがあるので、前回にも増して(かな?)長いです(笑)。
なのでおつきあいくださる方には最初にお詫びします。
前回の記事、関心が高いトピックのようで、とてもアクセスが多かったようです。
とても貴重なコメントをたくさんいただいたので、少しここにご紹介したく思います。
コメントくださったみなさま、ありがとうございました!個別にお返事しています(この記事を書く時点までのコメントに対しては)。
♡ まず、犬の周囲ではご自身やお子さんに気を付けるようにしているポイントを書いていただいたコメントがいくつかありました。大声を出さないとか、じっと見ないとか、犬と暮らす者にとっては基本的なことですが、意外と知らない方も多く、こうしてもらえると事故も防げます。
♡ 次に、犬に噛まれたり倒されたりという事故があったというコメント。まずは気を付けないといけないな、と改めて思います。そして、それでも(少し不安になる時もあるけど)犬は好き、というコメントもあります。例えばものすごく向こう側に行って(笑)犬をよけて歩く方の中には、「嫌い」ではなく「怖い」という気持ちでそうする方がいらっしゃること、私達としても忘れがちです。
♡ やっぱり犬や猫など動物と、特に小さな子どもとの関わり方は、考える必要があるということに同感ですというコメントも多いです。子どもさんがいらっしゃる方からのとても貴重なコメントがあり、私としても参考になりました。
♡ 動物は本来その動物である、ということを意識して気を付けているというコメントもいくつもありました。大型犬と小型犬の事故しかり、可能性を常にリスクとして意識してます、ということでした。
♡ 最後に、商業繁殖・生体販売、メディアでの動物の偏ったイメージについても、たくさんコメントいただいてます。猫ブーム、「カップサイズ」や小さな体格の犬の繁殖、ペットショップでの価格が上昇している傾向、TVでの赤ちゃんをあやす犬など特定イメージを強調した映像などについて、コメントいただいてます。
今日の記事はこの最後の点について書きたいと思います。
生体販売・商業繁殖。
まず、私が今日ここに書くことは、「愛玩動物」、いわゆる一般人のペット、についてに限定しています。
要点を先にまとめますと...
① 背景:アニマルウェルフェア(動物福祉=動物の幸せ)の概念は、日本でもここ数年で加速化。
② 倫理的考察1:商業繁殖・生体販売は、「動物全体の幸せ」を考えると、倫理的理由からしない方がよい、すべきことではないと言うことができる。
③ 倫理的考察2:どんなに善意に基づいていたとしても、愛玩動物を繁殖し商業利用することは、「死」という生きものにとっての最大の不利益のリスクをはらんでいるため、人間側の利益がそれを上回らない限り、正当化することができない。そして現状、上回るとは言えない。
④ 倫理的考察3:上記理由の中には、人間側にはより倫理的に望ましい選択肢(保護動物の引き取り)が存在するから、というものがある。「不必要な愛玩動物」がいなくなるまでは、繁殖モラトリアムを行うことが倫理的に正しいと言える。
⑤ 補足:ただし、管理センターへ業者が持ち込みをできなくなった現在、「保護動物」を引き取る善意に、商業繁殖・生体販売をする業者が支えられているという新たな構図も出て来ている。
以下、もう少し説明しつつ書いています。
① アニマルウェルフェア(動物福祉=動物の幸せ)の概念は、日本でもここ数年で加速化
商業繁殖・生体販売についてはずっと書き続けてきたことですが(このブログでのカテゴリーとしては、「every dog has a story...」に多く入ってます) ...
ちょうど来年2018年は、動物愛護管理法というペットを含む動物の取り扱いについて決めた法律の見直しが行われます。
また2020年のオリンピックに向け、生体販売の地域限定禁止や「殺処分ゼロ」を目指す運動もずいぶんと高まりを見せています。
さらにいうなら、ペットとは違いますが畜産動物のウェルフェア認証も、2016年夏からスタートしています(こちら)。
私がアニマルウェルフェアについてリサーチを始めた20年前から比べると、ここ5年で日本のAWは加速化しています。
法律の改正などの働きかけも経験がありますが、社会的に、そろそろ本気でこのトピックを抜本的に見直す素地は出来てきている、と私は感じます。
② 商業繁殖・生体販売は、「動物全体の幸せ」を考えると、様々な倫理的理由からしない方がよい、すべきことではないと言える
これは、いわゆる「功利主義」と言われる考え方を基礎にした、ピーター・シンガーの理論が基本ですが、とてもシンプルでありながら打破するのは難しい理論です。
(使役動物でなく)愛玩動物に限って言うならば、あえて思い切った表現をすると人間の「(癒しを含めた)娯楽」のため → 人間の「娯楽」という「利益」と彼らが商業繁殖や生体販売で受ける「不利益」を比較する → 動物の「不利益」が大きすぎる
この「不利益」は、死産、ショップに行く前に病気で死んでしまう個体、売れなかった個体、疾患などを理由に売れない個体が処分され死ぬことなどを指します。
③ どんなに善意に基づいていたとしても、愛玩動物を繁殖し商業利用することは、「死」という生きものにとっての最大の不利益のリスクをはらんでいるため、人間側の利益がそれを上回らない限り、正当化することができない。そして現状、上回るとは言えない。
つまり、人間の娯楽のためにあえて死ぬ個体が出るリスクがあることが分っている「繁殖」をすることは、倫理的に見ると正しいことではない、ということです。
それがどんなにその動物が好きで、自分の繁殖する個々の動物の幸せ(ウェルフェア)にコミットしていても、良心的に大切に繁殖をしていても、そしてどんなにその動物たちから幸せを感じる買い手がいるとしても、です。
動物倫理学的には、生きものにとって「生きて幸せを感じる」ことが利益であり、「死ぬ」ことは一番の不利益である、と考えられるからです。
さらに、繁殖する、そしてあえて繁殖された個体をペットショップやブリーダーから選ぶ理由の多くが、前回の記事で書いた「機能」と「見かけ」のため、あるいは「たまたま」であることも、その理由です。
そして驚くほど多くの場合、「見かけ」重視の購買・繁殖がなされています(大きさ、色、耳やシッポの形など)。
ちなみに大型店舗が中心となってきた生体販売では、個体価格が2倍になっているとの報告もあります。
そのために動物が払う犠牲の中に、その特徴を出すために類似の遺伝子を持つ個体をかけあわせることで生じる遺伝的疾患があることは、前回も書いた通りです。
股関節形成不全、視力喪失、アレルギー、臓器疾患、など、例を挙げるときりがありません。
猫でも、マンチカンは足が短くて(うちの三ちゃんもちょっと短足ですが( ´艸`))「かわいい」のが特徴ですが、その短い脚のために関節が動かなくなったり。
だから、動物を繁殖するということは、「死んでしまう個体」や「遺伝的疾患が出る」リスクを伴う行為であり、それだけの不利益を動物に負わせる正当な理由を人間が持っているとは、一般の私たちが一緒に暮らす相手としての「愛玩」動物の場合に限って議論すると、考えられないからです。
そして、そうした個体に愛情を持っていた人間の方も、悲しい思いをしなくてはなりません。
これは、すでにペットショップやブリーダーさんから動物を買って現在大切なパートナーとして暮らしている方々や、そのパートナーである動物たちを批判したり偏見を持つこととは違います。
現に私自身も、先代犬のパフィーはブリーダーさんから(両親が)買いました。
その頃はこういう考えに触れておらず、ただただかわいい仔犬を見に行き欲しくなった、というお気楽な選択でした。
ですから、同じように今のパートナーと出逢った人の気持ちもよくわかります。
もちろん、今はここに書いてるような考えを知ってしまったため、個人的に検討はしてほしかったな、という気持ちはなくはないです(笑)。でも、私は今は純粋に、幸せにしているペアを見ると、出処はどうあれ純粋に、愛を見つけられてよかったね、という風に思います。
それに、ある調査によると(週刊東洋経済、2016年9月10日号, p. 86)、ペットショップから動物を買った人のうち1/3強以上の人が、次はショップ以外から、と答えたそうです。
④ 上記理由の中には、より倫理的に望ましい選択肢(保護動物の引き取り)が存在するから、というものがある。
今、「不要」とされる犬猫がいる以上、まずは余剰の個体を生み出すよりすでに存在する個体を引き取る、というのはどう考えても一番効率のいい考え方です。
下は、環境省の発表したH27年度犬猫の引き取り数(ただし下に書くようにここに出てこない個体数は、把握しきれていないため、実際の「不要」犬猫は、もっともっと数が多いです)。
「不要」犬猫がゼロになった時初めて、また繁殖、ということを考えればよい、というのが、一番理にかなっています。
年齢とか大きさとか細かいことはいったん置いておくならば、これは誰も否定しないことだろうと思います。
実際は完全に繁殖をゼロにするのではなく限られた一部の繁殖を認めることになるでしょうが(犬種存続や使役犬の存続を求める声があります)、まずは、私のようなごくごく一般大衆のための「商業繁殖」のモラトリアムはあってもよいのではないかと思います。
ただ、政府が突然、そうしたモラトリアムを設けるとは思いませんし、欧米型と異なる日本の「個人の自由」を尊重する法体系上も、産業界からの反発もあり、ほぼ不可能でしょう。
これはあくまで、「消費者」である私たちが、「何を選ぶか」ということです。
需要が激減すれば、今ペットを繁殖・販売しているビジネスは、他のビジネスモデルに移行できるよう、動いていくはずだからです。
消費者である私たち一般人が、意識して選択を重ね、声をあげていくしかないのです。
ただ、ここにまた複雑な構図が存在しています。
⑤ 「保護動物」を引き取る善意に、商業繁殖・生体販売をする業者が支えられている構図も出て来ている
例えば、犬猫の「引き取り屋」という商売が存在しています。
ペットショップやブリーダーからの「不要」犬・猫を持ち込めるところです。一頭あたり数万円の謝礼であるとされているそうです(週刊東洋経済、2016年9月10日号、p. 78)。
また、ブリーダー崩壊(多数の個体を抱えきれなくなる状態)などから出る個体を保護→譲渡する、「シェルター」を持っているペット業界協会があるそうです(同上、p. 81)。
さらにそのシェルターに、ペットショップからはペットフードの寄付があるとも書かれています。
「殺処分数が減った」という「事実」も、実は裏側に、以前であれば動物管理センターに持ち込まれていた動物が、いったん別の場所(上記や保護団体など)を通して引き取られていく、という新たな構図を内包しています。
もちろん、犬や猫を直接保護したり管理センターから引き出しをしているボランティアさんの貢献とセットです。
そして、ボランティアさんはいつもキャパオーバーです。
本当は、殺処分自体が減っても、犬猫のサプライチェーンが変わっただけで、死んでいる個体や「不要」個体については同じ、あるいはペットの増加に伴い増えていると考えることもできます。
本来は責任を取るべき業界の「不要」や「売れ残り」の犬猫が、長いサプライチェーンを通して様々な人の善意により「ロンダリング」されるという、皮肉な構図があります。
だから、まずは大元を絶たないとこの問題は解決しないのです。
今の「猫ブーム」「ネコノミクス」が心配なのは、これまでは猫は引き取ったり拾ったりが中心であったのが、ペットショップで大々的に猫を売り出すようになってきたことがあります。
そして、これまでより繁殖される個体が多くなったことです。
「すべての動物(every dog & cat)」の「利益」を考えよう、というのがパフィーズの Every dog project です(名前は cat も入れないといけないので改訂考案中!)。
そして、これがパフィーズでは当初から、生体販売をしているお店には商品を置いていただかないようにしている理由です。
今商品を置かれているところはみなさん、最初から生体販売はされていないですし、契約の際はこの方針にサインをしていただいています。
ビジネスとしてなかなか大きくなりきれないのかもしれません。
でも、Mikeさんも同じですが、犬猫の幸せレベルを引き上げるために始めたビジネスで、彼らの幸せを損なうようなことには加担できません。
わかるけど... の「けど」に続くことを考えてみると、自分がどう生きて行きたいか、というクエスチョンにも繋がるトピックであるんだなあとも思います。
私自身のことで言えば、確かに月ちゃんは、愛らしく愛されて生まれてきた幸せパピーちゃんとは違い、予測不可能なこと、面倒な性質、そんな面も持ち合わせていて、いい意味でも私を驚かせっぱなしでした。
でも、そんな月ちゃんだからこそ教えてくれたことがいっぱいあり、私と月ちゃんの絆は深まっていったし私は成長できました。
これが、Giving is receiving ということなのだなあと思います。
三ちゃんの場合は、フレンドリーすぎて「もうけもの!」の一言につきます(笑)。これも、Giving is receiving。
でも、長くなったので、いったんここで終わりにしますね。
またまた長文におつきあいいただいた方、ありがとうございました。
そして、とうとうメディアでの動物の扱いについて書くつもりが、行きつきませんでした!
が、最後、月ちゃんのきれいな瞳で終了です。
こちらは月ちゃん・三ちゃん・私の日常 ↓
なのでおつきあいくださる方には最初にお詫びします。
前回の記事、関心が高いトピックのようで、とてもアクセスが多かったようです。
とても貴重なコメントをたくさんいただいたので、少しここにご紹介したく思います。
コメントくださったみなさま、ありがとうございました!個別にお返事しています(この記事を書く時点までのコメントに対しては)。
♡ まず、犬の周囲ではご自身やお子さんに気を付けるようにしているポイントを書いていただいたコメントがいくつかありました。大声を出さないとか、じっと見ないとか、犬と暮らす者にとっては基本的なことですが、意外と知らない方も多く、こうしてもらえると事故も防げます。
♡ 次に、犬に噛まれたり倒されたりという事故があったというコメント。まずは気を付けないといけないな、と改めて思います。そして、それでも(少し不安になる時もあるけど)犬は好き、というコメントもあります。例えばものすごく向こう側に行って(笑)犬をよけて歩く方の中には、「嫌い」ではなく「怖い」という気持ちでそうする方がいらっしゃること、私達としても忘れがちです。
♡ やっぱり犬や猫など動物と、特に小さな子どもとの関わり方は、考える必要があるということに同感ですというコメントも多いです。子どもさんがいらっしゃる方からのとても貴重なコメントがあり、私としても参考になりました。
♡ 動物は本来その動物である、ということを意識して気を付けているというコメントもいくつもありました。大型犬と小型犬の事故しかり、可能性を常にリスクとして意識してます、ということでした。
♡ 最後に、商業繁殖・生体販売、メディアでの動物の偏ったイメージについても、たくさんコメントいただいてます。猫ブーム、「カップサイズ」や小さな体格の犬の繁殖、ペットショップでの価格が上昇している傾向、TVでの赤ちゃんをあやす犬など特定イメージを強調した映像などについて、コメントいただいてます。
今日の記事はこの最後の点について書きたいと思います。
生体販売・商業繁殖。
まず、私が今日ここに書くことは、「愛玩動物」、いわゆる一般人のペット、についてに限定しています。
要点を先にまとめますと...
① 背景:アニマルウェルフェア(動物福祉=動物の幸せ)の概念は、日本でもここ数年で加速化。
② 倫理的考察1:商業繁殖・生体販売は、「動物全体の幸せ」を考えると、倫理的理由からしない方がよい、すべきことではないと言うことができる。
③ 倫理的考察2:どんなに善意に基づいていたとしても、愛玩動物を繁殖し商業利用することは、「死」という生きものにとっての最大の不利益のリスクをはらんでいるため、人間側の利益がそれを上回らない限り、正当化することができない。そして現状、上回るとは言えない。
④ 倫理的考察3:上記理由の中には、人間側にはより倫理的に望ましい選択肢(保護動物の引き取り)が存在するから、というものがある。「不必要な愛玩動物」がいなくなるまでは、繁殖モラトリアムを行うことが倫理的に正しいと言える。
⑤ 補足:ただし、管理センターへ業者が持ち込みをできなくなった現在、「保護動物」を引き取る善意に、商業繁殖・生体販売をする業者が支えられているという新たな構図も出て来ている。
以下、もう少し説明しつつ書いています。
① アニマルウェルフェア(動物福祉=動物の幸せ)の概念は、日本でもここ数年で加速化
商業繁殖・生体販売についてはずっと書き続けてきたことですが(このブログでのカテゴリーとしては、「every dog has a story...」に多く入ってます) ...
ちょうど来年2018年は、動物愛護管理法というペットを含む動物の取り扱いについて決めた法律の見直しが行われます。
また2020年のオリンピックに向け、生体販売の地域限定禁止や「殺処分ゼロ」を目指す運動もずいぶんと高まりを見せています。
さらにいうなら、ペットとは違いますが畜産動物のウェルフェア認証も、2016年夏からスタートしています(こちら)。
私がアニマルウェルフェアについてリサーチを始めた20年前から比べると、ここ5年で日本のAWは加速化しています。
法律の改正などの働きかけも経験がありますが、社会的に、そろそろ本気でこのトピックを抜本的に見直す素地は出来てきている、と私は感じます。
② 商業繁殖・生体販売は、「動物全体の幸せ」を考えると、様々な倫理的理由からしない方がよい、すべきことではないと言える
これは、いわゆる「功利主義」と言われる考え方を基礎にした、ピーター・シンガーの理論が基本ですが、とてもシンプルでありながら打破するのは難しい理論です。
(使役動物でなく)愛玩動物に限って言うならば、あえて思い切った表現をすると人間の「(癒しを含めた)娯楽」のため → 人間の「娯楽」という「利益」と彼らが商業繁殖や生体販売で受ける「不利益」を比較する → 動物の「不利益」が大きすぎる
この「不利益」は、死産、ショップに行く前に病気で死んでしまう個体、売れなかった個体、疾患などを理由に売れない個体が処分され死ぬことなどを指します。
③ どんなに善意に基づいていたとしても、愛玩動物を繁殖し商業利用することは、「死」という生きものにとっての最大の不利益のリスクをはらんでいるため、人間側の利益がそれを上回らない限り、正当化することができない。そして現状、上回るとは言えない。
つまり、人間の娯楽のためにあえて死ぬ個体が出るリスクがあることが分っている「繁殖」をすることは、倫理的に見ると正しいことではない、ということです。
それがどんなにその動物が好きで、自分の繁殖する個々の動物の幸せ(ウェルフェア)にコミットしていても、良心的に大切に繁殖をしていても、そしてどんなにその動物たちから幸せを感じる買い手がいるとしても、です。
動物倫理学的には、生きものにとって「生きて幸せを感じる」ことが利益であり、「死ぬ」ことは一番の不利益である、と考えられるからです。
さらに、繁殖する、そしてあえて繁殖された個体をペットショップやブリーダーから選ぶ理由の多くが、前回の記事で書いた「機能」と「見かけ」のため、あるいは「たまたま」であることも、その理由です。
そして驚くほど多くの場合、「見かけ」重視の購買・繁殖がなされています(大きさ、色、耳やシッポの形など)。
ちなみに大型店舗が中心となってきた生体販売では、個体価格が2倍になっているとの報告もあります。
そのために動物が払う犠牲の中に、その特徴を出すために類似の遺伝子を持つ個体をかけあわせることで生じる遺伝的疾患があることは、前回も書いた通りです。
股関節形成不全、視力喪失、アレルギー、臓器疾患、など、例を挙げるときりがありません。
猫でも、マンチカンは足が短くて(うちの三ちゃんもちょっと短足ですが( ´艸`))「かわいい」のが特徴ですが、その短い脚のために関節が動かなくなったり。
だから、動物を繁殖するということは、「死んでしまう個体」や「遺伝的疾患が出る」リスクを伴う行為であり、それだけの不利益を動物に負わせる正当な理由を人間が持っているとは、一般の私たちが一緒に暮らす相手としての「愛玩」動物の場合に限って議論すると、考えられないからです。
そして、そうした個体に愛情を持っていた人間の方も、悲しい思いをしなくてはなりません。
これは、すでにペットショップやブリーダーさんから動物を買って現在大切なパートナーとして暮らしている方々や、そのパートナーである動物たちを批判したり偏見を持つこととは違います。
現に私自身も、先代犬のパフィーはブリーダーさんから(両親が)買いました。
その頃はこういう考えに触れておらず、ただただかわいい仔犬を見に行き欲しくなった、というお気楽な選択でした。
ですから、同じように今のパートナーと出逢った人の気持ちもよくわかります。
もちろん、今はここに書いてるような考えを知ってしまったため、個人的に検討はしてほしかったな、という気持ちはなくはないです(笑)。でも、私は今は純粋に、幸せにしているペアを見ると、出処はどうあれ純粋に、愛を見つけられてよかったね、という風に思います。
それに、ある調査によると(週刊東洋経済、2016年9月10日号, p. 86)、ペットショップから動物を買った人のうち1/3強以上の人が、次はショップ以外から、と答えたそうです。
④ 上記理由の中には、より倫理的に望ましい選択肢(保護動物の引き取り)が存在するから、というものがある。
今、「不要」とされる犬猫がいる以上、まずは余剰の個体を生み出すよりすでに存在する個体を引き取る、というのはどう考えても一番効率のいい考え方です。
下は、環境省の発表したH27年度犬猫の引き取り数(ただし下に書くようにここに出てこない個体数は、把握しきれていないため、実際の「不要」犬猫は、もっともっと数が多いです)。
「不要」犬猫がゼロになった時初めて、また繁殖、ということを考えればよい、というのが、一番理にかなっています。
年齢とか大きさとか細かいことはいったん置いておくならば、これは誰も否定しないことだろうと思います。
実際は完全に繁殖をゼロにするのではなく限られた一部の繁殖を認めることになるでしょうが(犬種存続や使役犬の存続を求める声があります)、まずは、私のようなごくごく一般大衆のための「商業繁殖」のモラトリアムはあってもよいのではないかと思います。
ただ、政府が突然、そうしたモラトリアムを設けるとは思いませんし、欧米型と異なる日本の「個人の自由」を尊重する法体系上も、産業界からの反発もあり、ほぼ不可能でしょう。
これはあくまで、「消費者」である私たちが、「何を選ぶか」ということです。
需要が激減すれば、今ペットを繁殖・販売しているビジネスは、他のビジネスモデルに移行できるよう、動いていくはずだからです。
消費者である私たち一般人が、意識して選択を重ね、声をあげていくしかないのです。
ただ、ここにまた複雑な構図が存在しています。
⑤ 「保護動物」を引き取る善意に、商業繁殖・生体販売をする業者が支えられている構図も出て来ている
例えば、犬猫の「引き取り屋」という商売が存在しています。
ペットショップやブリーダーからの「不要」犬・猫を持ち込めるところです。一頭あたり数万円の謝礼であるとされているそうです(週刊東洋経済、2016年9月10日号、p. 78)。
また、ブリーダー崩壊(多数の個体を抱えきれなくなる状態)などから出る個体を保護→譲渡する、「シェルター」を持っているペット業界協会があるそうです(同上、p. 81)。
さらにそのシェルターに、ペットショップからはペットフードの寄付があるとも書かれています。
「殺処分数が減った」という「事実」も、実は裏側に、以前であれば動物管理センターに持ち込まれていた動物が、いったん別の場所(上記や保護団体など)を通して引き取られていく、という新たな構図を内包しています。
もちろん、犬や猫を直接保護したり管理センターから引き出しをしているボランティアさんの貢献とセットです。
そして、ボランティアさんはいつもキャパオーバーです。
本当は、殺処分自体が減っても、犬猫のサプライチェーンが変わっただけで、死んでいる個体や「不要」個体については同じ、あるいはペットの増加に伴い増えていると考えることもできます。
本来は責任を取るべき業界の「不要」や「売れ残り」の犬猫が、長いサプライチェーンを通して様々な人の善意により「ロンダリング」されるという、皮肉な構図があります。
だから、まずは大元を絶たないとこの問題は解決しないのです。
今の「猫ブーム」「ネコノミクス」が心配なのは、これまでは猫は引き取ったり拾ったりが中心であったのが、ペットショップで大々的に猫を売り出すようになってきたことがあります。
そして、これまでより繁殖される個体が多くなったことです。
「すべての動物(every dog & cat)」の「利益」を考えよう、というのがパフィーズの Every dog project です(名前は cat も入れないといけないので改訂考案中!)。
そして、これがパフィーズでは当初から、生体販売をしているお店には商品を置いていただかないようにしている理由です。
今商品を置かれているところはみなさん、最初から生体販売はされていないですし、契約の際はこの方針にサインをしていただいています。
ビジネスとしてなかなか大きくなりきれないのかもしれません。
でも、Mikeさんも同じですが、犬猫の幸せレベルを引き上げるために始めたビジネスで、彼らの幸せを損なうようなことには加担できません。
わかるけど... の「けど」に続くことを考えてみると、自分がどう生きて行きたいか、というクエスチョンにも繋がるトピックであるんだなあとも思います。
私自身のことで言えば、確かに月ちゃんは、愛らしく愛されて生まれてきた幸せパピーちゃんとは違い、予測不可能なこと、面倒な性質、そんな面も持ち合わせていて、いい意味でも私を驚かせっぱなしでした。
でも、そんな月ちゃんだからこそ教えてくれたことがいっぱいあり、私と月ちゃんの絆は深まっていったし私は成長できました。
これが、Giving is receiving ということなのだなあと思います。
三ちゃんの場合は、フレンドリーすぎて「もうけもの!」の一言につきます(笑)。これも、Giving is receiving。
でも、長くなったので、いったんここで終わりにしますね。
またまた長文におつきあいいただいた方、ありがとうございました。
そして、とうとうメディアでの動物の扱いについて書くつもりが、行きつきませんでした!
が、最後、月ちゃんのきれいな瞳で終了です。
こちらは月ちゃん・三ちゃん・私の日常 ↓
共感しかないです!!
まず、そうである人たちを不快にさせてしまうのを承知で言うと、「ペットショップで犬や猫を買う」という行為が理解できません。
非難するとかそういうことではなく単純に「理解できない」んです。
④の現状があって、それなのにどんどん「売るため」の個体が作られていく、というところに理不尽さを感じます。
まずは保護犬や野良猫を受け入れるのが常道でしょう、と思います。
人間の都合により「改良」され、そのためにどれくらいの命が犠牲になったんでしょう。。その子たちは何も悪くないのに。
⑤の後半で述べられている猫ブームの弊害は、まさにわたしが懸念していたことです。(それを言いたかった!)
Mariさんたちの、パフィーズさんの活動。
懸念しているだけじゃダメなんだな、行動しないとダメなんだな、って強く思いました。
次回の記事も楽しみにしています。月ちゃんの輝く瞳、最高!!
by ミケシマ (2017-03-18 23:45)
僕が子どもの頃は
「子猫の里親募集」「子犬譲ります」なんて貼り紙をみました
最近は犬にしても猫にしても子供の間に去勢していて
「赤ちゃんが生まれたら譲ってほしい」と言える機会もない
保護犬や保護猫という存在すら知らない人もいる
そういう人はペットショップに行くでしょう
地域の保健所などでも譲渡会はあるようですが
年齢制限や不在時間が長い家庭はNGなど条件があったり
ハードルが高い印象です
「保護されたコを再び不幸にしたくない」故だとわかりますが
条件が満たせず譲ってもらえなかったけど
どうしても飼いたいという人もペットショップに行っちゃうと思います
難しいですね
by 藤並 海 (2017-03-19 03:09)
☆ ミケシマさん
ありがとうございます。
記事にも書いてますが、「次はペットショップ以外から」という人が1/3以上もいるということは、知っていたら違う行動に出られた方もたくさんいらっしゃるということですよね。
実際このブログに来てくれる方の中にも、「次は」とコメントしてくださった方もいらっしゃいます。
私達(と一緒にしてますが( ´艸`))みたいに犬猫に関心がある者にとっては保護犬・猫の引き取りの仕方も身近なことですが、まだまだ一般的にはよく知られていないのかも。
猫ブーム、ネコノミクス(という言葉自体問題だと感じますが)、これも、「なんとなく不安」と感じている人は多いようです。
だから、好きな人同志、関心がある人だけで、話をしていても、なかなか進まないということに私も最近気が付きました。
前回の記事に書いたように、もっともっと、オープンに風通しをよくしなければいけないのは、犬好き・猫好きの私たちも同じかもしれません。
最近、自己の反省をこめて「サイバーカスケード」(SNSなどで気のあう人だけで集まりコミュニティを形成する傾向)ならぬ「犬カスケード」に陥らないように、ということを考えてます(笑)。
でも、このブログも中身を少しずつオープントピックにはしていますが、まだまだ、です。
月ちゃんをお褒めいただきありがとうございます♡
by Mari (2017-03-19 07:15)
☆ 藤並 海さん
この問題、難しいですね~!ほんとに。書いてくださってありがとうございます。
記事があまりに長くなってしまうので書けないポイントがいくつもあり、その一つでした。
まさに「ハードルが高い」と感じて、やっぱりペットショップとかブリーダーから、となるケースも多いようですね。
あるいは単に「通りがかり」とか「かわいかったから」というケースもかなり多いようで、ショップ側はそれが狙いで幼齢動物を展示します。
一つ私が言えるのは、やっぱり犬猫と暮らすというのは相当の覚悟を持つ必要があるので、ハードルは本来高くあるべき、という考えは間違ってはいないだろうなということです。
(終生飼養できない(しない)人というのは簡単に考えていた人だと思うので。)
よく恋愛で「相手のために身を引く」という考えがありますが(笑)、生きものであり彼らも幸せでありたいと感じるであろう犬猫の場合でもこの考えは必要かなあと。
欧米と比較して、日本は簡単に動物を手に入れられすぎだということが、ずっと以前から指摘されています。
でも、「自由経済」「個人の自由」が優先され、簡単に買える仕組みです。
犬も猫も、散歩(犬)、食事、健康管理、感情的なサポートと、してあげなければいけないことは色々あって、とても大変ですよね。
猫は簡単というふうな正しくない説がありますが、猫は猫特有の大変さがあって、決して簡単ではないことがわかります(いや、もう、ほんとに... )。
うちはお留守番の時は、周囲(従妹・実家・友人)を巻き込んでそばにいてもらっていますが、そのアレンジも大変。
... と、いうような情報も、やっぱりもっと浸透させていかないといけないのかな、と思いました。
それでもやっぱり、どんなに大変でも、私は月ちゃん・三ちゃんと一緒に暮らすことを選ぶことは間違いないですが♡
おっしゃる通り、難しいですね。
by Mari (2017-03-19 07:39)
この問題は、本当に難しい問題ですね。この手の話をすると、中には「(ペットショップやブリーダーで買った)自分や自分のワンコを否定されている」ような気持ちになってしまう方がいることもあり、話し方も大変難しい所だと感じています。私は、元保護犬ではありますが純血種といわれるワンコと暮らしています、それゆえ、その犬種に対して愛しさを感じる事は否定できません。でも、愛しているからこそ、もしその犬種がこの世の中からいなくなったとしても、それが「多くのワンコ達が幸せに暮らしていくため、不幸な子を減らすため」であるなら、致し方ないと思います。もし今の子が亡くなった後、また保護犬から迎えたくても、もしかしたら条件をクリアできず(単身であるため)譲渡してもらえないかもしれませんが、それもまた「ワンコを愛するなら」致し方ない事と思わないといけないのだろうな、と思っています。それほど、命を預かるという事は簡単な事ではないのだという事なのだろうと思います。 長くなり、すみません!!
by Wan+One (2017-03-20 17:30)
いっそ、わんこもにゃんこも血統管理という意味では動物園みたいな施設に任せたいと思っています。
少なくとも家族をまっているこたちがいる間だけでも。
仕事柄「○○のブリーダー知らない?」と聞かれることもしばしばですが、犬種にこだわることは無意味だし、純血種だって保護されてるこは多いのでadoptを!とオススメしています。
つか、現実はオススメどころか「買うこと」を完全否定して「絶対ダメ!」って言ってるんですけど。
純血種主義の人たちに嫌がられても、これは絶対に言い続けようと思っています。
私の生徒さんたちはほぼ「買った」方ですが「次はadoptで」と言ってくださっています。
驚いたことにこの「次はadoptで」の前には「知らなかったから買っちゃったけど」とおっしゃるのです。
なので、もっと周知が必要だと痛感しました。
前回のコメントのレスに書かれていた「最低限~しましょうを共有」する件ですが、例えば(これはあまり周知されていないのですが)アグレッションを持ったわんこにはリードやわんこに黄色いバンダナをつけるというのがあります。
こういうことを広めていけたらいいのかな。
ほかには、小学生の交通安全教室みたいに動物安全教室(このネーミングはひどいけど)みたいなイベントがあるといいですね。
あとはメディアです。
テレビとか、かなり残念な取り上げ方をしています。
テレビの影響力は大きいので、ぜひいい発信をしてもらいたいものです。
私は今のテレビの動物番組はほぼ観られません
by ヨンタロー♀ (2017-03-20 18:49)
私も商業繁殖はちょっと・・・と思っています。
ボーダーコリーのイヴを飼うときは
地元の保健所で困った子がいたらと思ったのですが
室蘭市は優秀だそうで
保護されたワンコはいませんでした。
そこでペットショップへ行ったら
たまたま出会った赤ちゃんだったイヴが
私にぺったりと抱っこされてきたので
この子!となったのです。
今我が家にいるテオ君は
殺処分期限切れ!!だったニャン。
ほんと出会えて良かった^^;
ワン・ニャン飼いたい人、
まずは保健所で探してほしい。
動物病院にも保護を求めてる情報あります。
ぜひそちらにも問い合わせてほしいです!
by イヴママ (2017-03-21 09:06)
Wan+Oneさん、ヨンタローさん、イヴママさん
まとめてのお返事で(しかも大変遅くなり!)失礼します。
コメントありがとうございました。
Adopt できる、というのをご存知ない方は意外にも多いことを私も感じています。
だからやっぱり、犬(猫は少ないようですが)好きだけで話していても、進まないことを強く感じています。
血統とか種類に関しては、人それぞれ「好み」というのはあるのでしょうね。
ただ一緒に暮らしてみると、そんな自分の好みは大して大切でもなかった、と私なんかは思うのですが(笑)。
要は、犬や猫を自分にとってどういう存在と考えて家に迎え入れるか、ということでしょうか。
ヨンタローさんいろいろアイデアありがとうございます。
黄色いリボンですが、私も知ってはいるんですが、なかなか広まらないですし海外でも私は見たことがないです。
それはなぜなのだろうと考えていくと、またいろんなことを思うのですが、長くなるのでまた今度に(笑)。
by Mari (2017-03-31 10:06)